合否なんて運だと考える
ウチの子が合格通知をいただいた時に、ボクが口うるさく子供に言ったことは、学校で合否のハナシになっても、不合格だった友達のことを考えなさい、ということでした。「すごいね」って言われても、決して威張ったりしてはいけない、運が良かったと感謝するべきだ、ということでした。
「優秀だから合格した」って、言ってあげればいいようなものですが、ボクはそうは言いませんでした。
なぜなら、頑張った子は山ほどいて、頑張ったけど合格しなかった子もいっぱいいて、合格した子っていうのは、頑張ったことに加えて、「運」も良かったのだと考えるのが、ボクは人としての当り前の感覚だと思ったからです。
頑張ったけども不合格だった子と、合格した子の差なんてないと思うのです。
そして、公立中高一貫校においては、合格をいただいた子よりも、「頑張ったけど運が悪くて不合格だった子」のほうがはるかに多いのです。
長い間頑張ってきて、結局のところ合否を分けるのが、「運」だけなのかというと、もちろんそうではありません。
頑張った子しか合格の可能性のあるところまでは行けなくて、そこから先が「運」。ボクはこう考えています。
だから、親御様から見て、頑張って勉強して、合格の可能性があるところまで行っていたお子様は、合否に関係なく誉めてあげるべきだと思います。
「合格したから頑張った」、「不合格だった子は頑張りが足りなかった」、「アイツは合格したからアタマがいい」、こういう結果一辺倒の価値判断をすることは愚かなことですし、たかが中学受験を大きく捉えることはお子様にとっても良い事ではないと思います。
まずは親のほうがそういう考えを排除することです。「不合格だった○○クンよりもウチの子のほうが優れている」だとか、逆に、「△△ちゃんは○○に合格したから、ウチの子とはやっぱり違うなあ・・・」こんな考えは改めるべきだし、もしもお子様がそういう事を口にしたら、正すべきだとボクは思います。
「適性検査」ということもあり、かつ、とにかく倍率が高いので、努力が実らない、という理不尽な結果が非常に多い、これが私立と違うところなのです。
そういう不合理を合理的に説明できるのが、「運」というコトバなのです。
ボクは中学受験の専門家でもありませんし、受験テクニックについても自信があるワケではありませんが、子供に対して「運が良かった」、というマインドを持ってもらおうとしたことは、絶対に正しかったと自負しています。
それは公立中高一貫校に通い始めてからわかりました。
ウチの子は、運が良かったことに感謝し、そしてこの学校に入りたくても不合格だったたくさんの友達のことをかえりみて、勉強を頑張るようになったからです。
「自分はこの学校に通わせてもらえることになって、幸せなんだから、ダラダラしてたら、不合格だった友達に申し訳ない」
というセリフを聞いたときには、ウチの子もちょっとは成長したなって思ったものです。
中学受験をすることを決めたときに、ある塾から受験をやめたほうがいいと言われたことがありました。公立一本だと不合格の可能性が高いというのが理由です。
まだ小学校6年生の子供にとって、「不合格」という体験は、結構大きなものなので、塾にも行かず、私立も受けないなら、受検することを考え直すべき、と言われたのです。
でも、どうなのでしょう?
塾に通う通わないは別にして、受験を必要以上に大きく捉えずに、それでいて一生懸命努力はしながら、合格でも不合格でも、笑って受験を終えることは、ボクは出来るんじゃないかと思っています。
親や塾があまりにも過熱して、子供を追い込んでいるようなこのご時世を、「時代だから」と片づけることなく、アタマを冷やして、ある意味「軽く」、そして「楽しく」取り組むことが、ボクは大切だと思っています。
くどいようですが、たかが中学受験なのです。中学受験で不合格でも、高校受験や大学受験でまた頑張ればいい、それだけのことです。
「頑張ったんなら不合格でも構わない」
こう言い切れる親御様は立派だと思います。結果にのみこだわって、お子様が頑張ったことを評価出来ないような親こそ、親として不合格なのです。
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